もりとみずうみ

さみしさのやさしさ、いとしさについて。

夏の始まりのエスケープ

先日、一人でプラネタリウムと水族館に行きました。
夏休みに入る前の平日は人も疎らで、プラネタリウムだけのつもりだったのに、フロアに漂う微かなアロマと水の香りにふらふらと気付けば水族館のチケットを買ってしまったのでした。
ちなみにこのアロマというのはこのプラネタリウムオリジナルの調香で、ローズマリースターアニスの清澄な香りがとてもお気に入り。この日もストックをちゃっかり購入してきました。

プラネタリウムは久しぶり。
ここのところ心の疲弊をひしひしと感じていたので、思い切ってプレミアムシートの予約をしておきました。
芝生の上に寝転んで星空を見上げている気分になれるという芝シート。所謂カップルシートのようなものだけれど、一人で身体を伸ばす贅沢を堪能。
世界の星空を巡るプログラム、日本では見ることの出来ない星々、天の川銀河
夢見るように美しい天体ショーを見ながら、私は初めて星空に惹かれた遠い日のことを思い出しました。

小学生の頃、授業の一貫で訪れた地域のプラネタリウムで、「これは今あなたたちが住んでいる街の星空です。それでは街の灯りをすべて落としてみましょう」と係の人が言い、天鵞絨のような夜空に現れた満天の星々。現実では見ることは不可能に近い、けれども確実に存在しているその輝ける存在のあまりにも無垢な美しさに、幼い私はぎしぎしと鳴る古いシートの上で涙を流したのでした。

その日から私の中に星や月への憧憬が芽生えた気がします。と言っても、私には科学や天文学といった学問は難解すぎて、ただただその謎めいた美しさや、星座に込められた物語や、或いは銀河鉄道の夜のような叙情的な星物語を愛でるだけでしたが。
専門的な知識を持ったほうが、よりその美しさを堪能できるでしょう。
私が好きなバレエやクラシック音楽もそうです。
でも私は多分、星や月や天体が内包する物語や浪漫に惹かれているのだと思います。
だからこそ、夢は夢のまま、憧れは憧れのままにしておきたい、そんな気持ちもあって、結局この歳になっても星がなぜ輝くのか、星がどうやって生まれるのか知りません。
月とのおしゃべりに星の子どもたちが笑い声をあげたときに光る、ジンジャーブレッドクッキーについた銀の欠片を長い梯子を登ってメリー・ポピンズが夜空に投げている、私はそれで良いのです。



さて、プラネタリウムのあとに訪れた水族館。
水族館はいつも娘と見て回るため、こんなふうにのんびりと見たい水槽の前でぼーっとするなんて初めてかもしれません。

海の生き物で、私は海月が一番好きです。
海の月、なんて名前も素敵ですから。
ぷかぷかと、ミルクを溶かしたような半透明の白い身体で水の中を漂う海月を見ていると、私も深い深い水底で名前もなにもない、ただの小さな有機体になったような気持ちになります。
羊水のように優しく柔らかい海水に包まれて、やがて寿命がきたら、ひそやかな泡沫が一つ浮かんでそして消える。私は広く深い海の一部になる…なんて夢想をしながらずっと海月の水槽の前のソファに座っていたのでした。
ああ、私に魔法が使えたら、夜中の水族館に忍び込んで海月の水槽に耳を当てて、水中に浮かぶ月のような彼らに見守られながら眠るのに。



星の瞬きと泡沫の音。目も耳も、そして心も、なんだか透明なもので満ち足りて、身が軽くなったような気がします。
私は娘と出掛けるのがとっても好きなのだけれど、たまにはこうして自分自身の心とお出かけするのも良いかもしれない。次は久しぶりにお気に入りの名曲喫茶に行こうかな、なんて考えながらひとときのエスケープを終えました。

…実はこのあとプレミアムシートの秘密が娘に知られてしまい、後日雲シートを予約することになったのは、また別のお話。