もりとみずうみ

さみしさのやさしさ、いとしさについて。

乾いた箱庭で。

1月8日。 大好きな友人と娘と国立科学博物館で行われている毒展へ。

科学博物館を訪れるのは10年以上振り。

毒展は想像していたものとは少し趣が違っていたけれど、動植物標本とホルマリン漬けがたくさん見れたのが嬉しかったです。毒の女王トリカブトや、毒を持つ蜥蜴や蛙のホルマリン漬けには魔女の心がどうしても疼いてしまいます。かつて使われていた水銀と鉛を含んだ白粉なども興味深かった。

とはいえ、常設展示のほうが概ね楽しかったのでした。

 

剥製も巨大物も恐怖症の気があるのに、博物館という場所に惹かれるのは小川洋子さんの影響だと思っています。

 

潮水に濡れていた貝も、艷やかな毛並みを持つ獣も、花粉と粘液を滴らせる植物も。ここではみんなひそやかに乾いている。ホルマリンの瓶の中ですら、湿度を一切感じさせません。

彼らには哀しみも嘆きも怒りも喜びもない。ただ静けさだけをまとった、物体としての死。

小川洋子さんの物語は常にその乾いたひそやかな死の気配をまとっているし、博物館がお話の舞台となっていることも多いです。

その寒気がするほど無色な死に、私は畏怖の念と美しさを感じるのです。

茶色い液体の満ちた瓶に沈むきのこも、鮮やかな色の羽をピンで留められた蝶も、ただそこに在るだけ。どんなに時が流れても、数えきれないほどの人々の視線に晒されても。

 

人の手によって管理されているのに、なにものにも冒されない彼らの、なにも映さない瞳に四方を囲まれた博物館という存在に、これからもたぶん憧れつづけるでしょう。

 

これはいつか欲しいと思っていた国立科学博物館の記念メダル。青い蝶のものと迷ったけれど、娘がこちらの方がママっぽいというので望遠鏡に。

天体の深淵も、やっぱりおそろしくて美しい、焦がれるもののひとつ。