もりとみずうみ

さみしさのやさしさ、いとしさについて。

甘く、辟易するような背徳と嫌悪の味。

新たに綴るブログ記事と同時に昔綴っていたものを少しずつ加筆修正していこうかなと思い始めて。

今日は、お友だちが私がお勧めした本を読み始めたとのことで、以前別の場所に書いたその本の感想を載せてみる。

 

 

ドット・ハチソン『蝶のいた庭』

 

あらすじ

FBI特別捜査官のヴィクターは、若い女性の事情聴取に取りかかった。

彼女はある男に拉致軟禁された10名以上の女性とともに警察に保護された。

彼女の口から、蝶が飛びかう楽園のような温室〈ガーデン〉と、犯人の〈庭師〉に支配されていく女性たちの様子が語られるにつれ、凄惨な事件に慣れているはずの捜査官たちが怖気だっていく。

美しい地獄で一体何があったのか?

おぞましすぎる世界の真実を知りたくないのに、ページをめくる手が止まらない――。

 

 

読んだ日からしばらく衝撃と嫌悪と放心が抜けなかった一冊。

 

誘拐され、新たな名前を与えられ、背中に蝶のタトゥーを入れられ、広大な庭に閉じ込められる少女たち。

 

自らの歪んだ愛情と、理想しか見れない庭師の静かな狂気と、希望と諦念に揺れ動く少女。

空恐ろしくも美しい完璧な幻想の庭は、庭師の二人の息子のカインとアベル的な関係によって綻び始め、やがて炎に包まれる。

 

名前を奪い、蝶に仕立てあげ、自分は彼女たちを愛していると本気で思っている庭師が恐ろしく、そしてそれと同時に彼が作り上げた庭、そしてそこで飼われるしかない彼女たちの《期限つき》の儚い姿を美しいと思ってしまう自分自身にもおぞましさを感じて、なんとも胸にずしんとくる読書。

 

娘を生んでから、少女たちが搾取される物語を読むとやはり嫌悪感の方が強く感じるのですが、それでもやはり、背徳的なものの美しさに胸を震わせる自分もまだ存在していて、物語の残虐性と、自己矛盾両方に心を揺さぶられながらの読了でした。

 

ラストは希望を感じさせるものですが…彼女たちが庭で奪われたものは戻らず、それどころか事件が明るみになることでまた何かを失うことは避けられない事実であり…彼女の幸せを祈ることすら綺麗事なのではないかと罪悪感を感じてしまいます。

 

サスペンスとしては臨場感たっぷりで非常におもしろく読めましたが、なんだか精神力を持っていかれる作品です。

 

じわじわと身体を侵食していく毒に抗えず、一頁一頁ページを捲る度に毒は回り、全てが終わったとき、虚無感と渇きを感じながらも、出たため息は充足のそれでした。

 

 

 

 

 

ー静かな水面はさながら鏡のようで、エメラルド色の芝生の斜面の、いったいどのあたりから、この水晶のように澄明な水面が始まるのか、言いがたかった。(中略)

西のはずれは、美女がまばゆく集う後宮さながらに、百花繚乱の花園であった。(中略)

やせ細っていく木と、その木の影を呑み込んで、このえじきのおかげでいっそう黒ずんでゆく水― この両者の関係はまさに、妖精の生命とそれを呑み込んでゆく『死』との関係にも相通ずるのではあるまいか。

─(エドガー・アラン・ポー《妖精の島》)