別の場所に書いたものの再掲。
淡い色彩の花たちと、やわらかな風。世界はもうすっかり春です。
厳しい寒さの冬が長く続くヨーロッパにおいては春は喜びの季節。ここ日本でも、桜の下でお酒を飲んだりお弁当を食べたりする時間がずっと愛されてますね。
あたたかくて、やわらかくて、ほんのちょっぴりみんなが浮かれている。春はそんな季節。
もちろん春のそんな側面がわたしも大好きなのだけれど。もう一つの春の表情と、それにぴったりな音楽のおはなしを今日はしたいのです。
春は喜びの季節、とさっき書いたけれど。
どことなく、メランコリィを感じる季節だとも思いませんか?
あたたかな陽射しに微睡んでいると、とおくのほうから冬の冷たさを纏った風が吹いてきて、空気の湿度が増して、生ぬるい雨が降る。
その雨が、咲き乱れる花たちを散らして。
どんなに気をつけて歩いても、コンクリートの上に落ちた花びらに茶色い靴跡をつけてしまう。
お昼の気温が嘘みたいなつめたい風にあおられるトレンチコートの襟元を抑えながら、くたりと横たわる花びらたちを見ていると私はなんとなく、こころがメランコリィに染まっていく気がするのです。
春の冷え込みは、冬の痛いほど澄み切ったそれとは違って、どことなく曖昧で、舐めるような湿度と泥のような粘度をもっている。
そういう、滲んだ水彩絵具みたいな空気を感じるたびに、ほんのすこし投げやりな、ピンク色のメランコリィを感じる。それがわたしにとっての春。
ピンク色のメランコリィって我ながら言い得て妙だと思っちゃった。
例えばソフィア・コッポラの映画《ヴァージン・スーサイズ》の五人姉妹が閉じ込められたおもちゃ箱のような子供部屋のシーンとか。
ロネ・シェルフィグの映画《17歳の肖像》のジェニーがパリから持ち帰ったフランスのカラフルな煙草を吸うシーンとか。
下着にこっそり薔薇の刺繍をする太宰治の女生徒とか。そういう種類の憂鬱。それがピンク色のメランコリィ。
無視していれば質量を増して、かといって無理に追い払おうとしても足首のあたりからずぶずぶと沈んでいく。
コットンキャンディのように甘くて、でも身体についたらベタベタとして、途方に暮れてしまうようなメランコリィを感じる春の夜。
外は小雨が降っているし、そういえばさっきから頭が痛い気がする。
そんなときにわたしはブロッサム・ディアリーを聞きます。
ブロッサム・ディアリーはアメリカのジャズシンガー。
まるで子供のような歌声はいわゆるファニーボイス。でも小猫がじゃれつくようなチャーミングな歌声が耳に心地良くて。粋なスウィングもなんとなく小生意気な雰囲気がピンク色のメランコリィな夜にぴったり。
名前だってブロッサムだもの。これは本名で、彼女が産まれたときに兄弟が満開の桃の花を持ってきたことからつけられたそう。
アンニュイな気分のときにはウィスパーボイスのフレンチロリータ、ジェーン・バーキンやフランソワーズ・アルディもいいけれど、ピンク色のメランコリィを患っているときはそのままずっしりと春の泥に沈んでしまいそうなので。
ブロッサム・ディアリーのポップな歌声を処方します。
例えば、《they say it's spring》。
みんな浮足立っているのは春のせいだというけれど…という歌詞と、彼女の歌声に耳を澄ませてクッションに身体を沈ませたら。
まぁいいか。夜が明けたら朝が来るし。春がいつまでも続くわけでもない。この気まぐれなメランコリィに、ちょっとだけ私の身体を貸してあげてもいいよ。なんて気持ちになれるので。
歌声の合間に聞こえる外の雨音も、ちょっと心地よくなったりするので。
そうしたらもう、春の終わりはすぐそこだったりするのです。