もりとみずうみ

さみしさのやさしさ、いとしさについて。

白鳥座の導き

 

ひっそりと慈しみながら、大切にしたい場所がある。

自分勝手な気持ちを綴るなら、誰彼構わず教えたくはない場所。けれど、心に庭を持っていてその庭を育てること、愛すること、秘めることの静かな楽しみを知っているひと。そして同じ庭を持つ人への礼節を守っているひと─誰かが大切に育てた花を勝手に摘み取って自分の庭に飾ったり、誰かの庭にずけずけと踏み込んでいくようなことをしないひと。そんな人にはそっとささやき声で教えてあげたい。そんな場所。

そもそもそういう場所には、やはり同じような心のひとが集うような気がする。

図書室の最奥、埃がうっすらと積もった書架の先にある忘れられたような出窓の傍とか。いつ訪れても誰もいないのに、きっと誰かが世話をしているに違いない植物が咲く小さな裏庭とか。教会の敷地の隅にある、雨風にさらされてひび割れているけれどいつも白百合が備えられたマリア像の前とか。そんな場所に、呼び寄せられてたどり着くひとがいるように。

 

東中野のSilent Musicもそんな場所のひとつ。私と娘の‘マイ・サンクチュアリ’だ。静かにひそやかに佇むこの場所では、祈りとやさしさのヴェールの中で美しい作品や音楽が迎えてくれる。

訪れるのはすこし久しぶりになってしまった。今回は『銀河鉄道の夜から聴こえてくるもの』展とのことで、集うひとから‘東中野ルルド’と呼ばれるそこが、銀河鉄道停車駅に姿を変えている。

 

訪れたのは雨の日で、お庭のマリアさまと植物たちが透明な雫に濡れて私たちを見つめていた。

扉をあけて、ほのかに暗いお部屋の中にはいる。祈りの音楽と、ふうわりと香る良い香り。いつお会いしても変わらない少女のような微笑みで声をかけてくれるオーナーの恵子さん。

この瞬間、ほっと息がしやすくなることに気付く。

日々の中で少しずつ少しずつ冷えて固まり、凝っていたなにかが、ゆるりとほぐれていく。

生きていると無意識に自分自身を騙したり、欺いたり、試したりしてしまうことがある。けれどここは、純粋な私のまま呼吸することを思い出させてくれる場所。

思春期の扉のはじまりに立っている娘も、最初こそ久しぶりの再会に人見知り場所見知りで俯いているものの、気付けば恵子さんの隣に座りおしゃべりしたりお人形をかりて遊んだりしている。

彼女にとっても、ここはそういう場所なのだ。

 

銀河鉄道の夜』は最近読み返したばかりだったので、本を読んで得た私のイメージと展示された作品が描くイメージを胸の中に刻んでいく。

心の庭へ、透明で瑞々しい水をまくように。

絵画、コラージュ、映像、木彫、音楽。さまざまな作家さんがそれぞれのかたちで銀河鉄道の夜を表現した作品たちが並ぶ空間をひと回りすると、少年たちのささやき声や鉄道の走る音、星の瞬きや鳥の羽音まで聴こえてくる気がした。

銀河鉄道の夜から聴こえてくるもの、その先にあるのはやさしい孤独と、それに寄り添う祈りだったように思う。

身体中を静けさで満たして見上げた夜空の物語たち。満点の星と天鵞絨の空。

夢見る心も、懐かしい記憶も、やわらかなさみしさも、純真な祈りも、‘銀河を走って永遠を渡って’いく。

雨音に閉じ込められたような音楽室で、向う場所への座標を見失わず、そしてその場所へ向かうための切符を無くさずに生きたいと娘のあたたかい手のひらを握ってみた。

 

「カムパネルラ、また僕たち二人きりになったねぇ。どこまでもどこまでも一緒に行こう。」