もりとみずうみ

さみしさのやさしさ、いとしさについて。

「そばかす」

もう一年の半分が終わろうとしていて。私は慌ててこの半年に観た、聴いた、感じたことをノートやブログにまとめようと記憶や記録を手繰り寄せています。

美術展での展示リストや映画のチケットに走り書きされた私のメモは、時に解読不能のものも多くて、その都度きちんとまとめていないことにいつも後悔して、それを繰り返している自分に呆れてしまうのだけど。

 

心が揺さぶられたときって、その時に感じた気持ちだけじゃない。

鼓膜を震わせた音の余韻とか、その場所の空気の温度とかその空気が肌の上をどんなふうに滑っていったのかとか、その時につけていた香水の香りも記憶のピースのひとつになったりする。

そういう五感全てで感じたものって、やっぱり時間が経つにつれて薄れていってしまうので、そのためにノートを持ち歩いているのに。今目の前に広がったチケットやメモやパンフレットを眺めて、薄れていってしまった感覚が蘇りますようにと祈りながらこの記事を書いているのです。

 

今年は、とにかく映画館で映画を観ようと決めていて。この半年中々順調に観たい作品をきちんとシアターで観れています。

そんな今年の映画鑑賞記念すべき第一作目となった「そばかす」という作品について。感想ノートをめくりながら、ここにも書いていこうと思います。

 

普段邦画には疎くてあまり情報も拾えてないのだけど、仲良しの相互さんがこの作品を教えてくださって、すぐにシアターに駆け込んで観たのでした。

 

クイア映画としてとても素晴らしい作品だった。

アセクシャル、アロマンティックというセクシャリティを題材にしながらも大仰なドラマを描いたり、コンテンツとして取扱うことなくただただ、マジョリティの人たちと同じようにマイノリティの人たちにも「続いていく日々、人生」がある、というスタンスがとてもいい。

胸が詰まったり、腹が立ったり、涙が流れてしまうようなシーンもあったけれど、鑑賞後は透明な水をごくごくと飲んだあとのような気持ちになりました。

私たちは生きている。理解や共感を得られなくても、それでも私たちはあなたたちと同じように不甲斐ない身体と心と抱きしめながら生きている人生がある。あなたにも、私にも。

 

愛や性的欲求をどこか物語の中のもののような感覚で捉えていて、それを自分の中に見出すことになんとなくの違和感を抱えている私にとって、そう、本当に清らかな水が身体に浸透していくような気持ちになる映画だった。

言葉にするのが難しいけれど、人生を生きていく中で、徐々に溜まっていく澱の存在に気付いたときに、ふと眼の前に流れる透明な川の水で手を洗ったらなんだか澱みが軽くなった。そんな心地。

 

一年の始まりに観れて良かった作品でした。とてもいい映画。 

 

 

記憶の記録、ひとつおわり。

また書くね。