もりとみずうみ

さみしさのやさしさ、いとしさについて。

祈りの家で。

あけましておめでとうございます。

ふと思い立って久しぶりにブログというものをつくったけれど気付けば最終更新日から季節が2つほど変わっていてびっくり。

 

18歳から5年ほど前まで、媒体を変えながらもずっとブログを書いていました。

日々のこと、見た映画や舞台や本の記録、行った場所、思ったこと。そんなことをずっと。

誰にも見せないノートに書くよりは少し冷静に。

そしてできるだけ哀しいことや嫌なことは書かない。そう決めて。

最初は細々と綴っていたけれど、そのブログから知り合った方とお友達になったりちょっとしたお仕事をいただいたりしていてとても楽しかった。

 

思えば私はずっと、なにかしら書いていた人生だった気がします。

幼い頃はノートに、思春期はブログに、そして今はお話をウェブ上に。

私はたぶんこれからも、本を読む女、ものを書く娘で居続けるのでしょう。誰でもない、私のために。

 

そんなわけで、また気の向くままに綴っていけたらと思います。

 

 

 

***

 

元旦の今日は、毎年恒例の教会へ。

10歳になった娘は気付けばカウントダウンまでしっかり起きているようになったので結局毎年新年のミサの時間には起きてくれず、ここ数年はミサが終わったあとの静かな聖堂にお祈りに行っています。

 

私はカトリックの洗礼を受けているけれど熱心な信者ではないのでクリスマスや復活祭、そして新年くらいしかミサに預かりません。

それでもやっぱり、ひそやかな祈りの家に足を踏み入れると、日々の中で凝ったなにかがゆっくりと溶けていくような気がします。

 

 

このルルドの岩窟は、幼い頃から私のサンクチュアリ

多感で、潔癖で、胸から湧いて出てくる色んな感情を持て余していた私。怒ること、悲しむこと、苛立つこと、望むこと、それを私が私に赦していた場所。

コンクール前に先生に散々絞られて泣きながら来たことも。

カトリックの教えを忠実に守って生きることなんて到底無理だけれど、木漏れ日の中に佇むマリア様を憧れを持って見上げるのは私の自由だから。

 

 

コンクリート打ちっぱなしのモダンな聖堂は、いつも冷たくて静か。

このつれない雰囲気がいい。誰にでもあたたかく光を差すなんて嘘っぽいもんね。私は罪深い人間です。でも私は私のためにあなたに祈ります。

届かなくても、救われなくても。私のことは私がなんとかするので。アーメン。なんてあまりにも罰当たりでしょうか。

隣に座る娘にあとで何をお祈りしたのか聞いたら

「私は大人になったから、自由に楽しくやってます。見ててね」とのことだったので、抱き締めちゃった。

 

きっと私たちはこれからもこんなふうに軽やかに生きていこうね、なんて考えながら手を繋いで、ゴルゴダの丘みたいに歩きにくい坂道を駆け下りたのでした。

 

 

2023年始まりの日に。