もりとみずうみ

さみしさのやさしさ、いとしさについて。

Fragments

三が日の記録を徒然と。

Twitterにつぶやいたことそのままだったり、文章になっていたり、なっていなかったり。

 

 

 

1月1日。

 

日中は一つ前の日記に書いたとおりに過ごして、夜は簡単なお節と共に毎年恒例のウィーンフィルニューイヤーコンサートを鑑賞。

これを見なければ、新年が始まった気にならない!

 

薔薇を中心にダリアやラナンキュラス、ガーベラ、ストレリチアなど何種類ものあたたかな色合いの花々で飾られた、黄金色のウィーン楽友協会ホール。

今年は久しぶりに有客開催で、ときおり映るにこにこと着飾った観客たちの姿も嬉しい。

ワルツ王シュトラウスを始め、ウィーンゆかりの作曲家たちのワルツやポルカ、マーチ。今年のマエストロのメストはとにかく軽やかで花びらが舞うようなオーケストレーションで春の訪れの喜びが弾けんばかり。これまでニューイヤーコンサートで演奏されたことのない楽曲だけで組んだプログラムもとても楽しかった。

 

テレビ中継の醍醐味であるウィーンの歴史的建造物で優雅に舞い踊るウィーン国立バレエ団のダンサーたち。今年はお衣装も振り付けもクラシカルなもので、私好み。

そこにセーラーカラーのウィーン少年合唱団、白リボンのウィーン少女合唱団まで加わったら…夢見てるような多幸感!

 

どこまでも軽やかなワルツ、加速するポルカ、胸躍るマーチ。

わたしが憧れるヨーロッパの春!わたしが憧れるロマンティックな春!

 

一年の始まりの日に、晴れやかな喜びをうたう音楽。元旦はこうでなくっちゃ。

 

 

 

 

 

***

 

 

 

1月2日。

 

趣味で書いているお話のプロットがあがったので着手したものの思うように進まなくて、諦めてのんびり過ごすことに。

晦日からウィザーディングワールドシリーズNetflixに一挙追加されたので、娘とファンタスティック・ビーストの1と2を一気に鑑賞。

劇場でも、サブスクでも何度も観ているけれどやっぱり大好きな作品。

 

 

私はハリポタで学び、育ったのでやっぱりハリポタ贔屓だけれど、映画というコンテンツに絞ればファンタビに軍配が上がるかも。

社会的マイノリティとマジョリティ、権力について、エゴについて、ホモソーシャルの枷、さまざな愛の形について。

魔法というファンタジーの下で描き出されるテーマはどこまでもリアルなものばかり。

2作目黒い魔法使いの誕生の、最終バトルシーンは各々のキャラクターの切実な想いが胸に迫ってきて涙なしには見れません。

 

それにしても、ハリポタからファンタビとウィザーディングワールドが展開していってくれていることで、私が子供の頃に夢中になった世界を娘とも楽しめることが一番嬉しい!

当時ハリポタの二次創作に励み、紅茶やファッジや蛙チョコを買い込み、薬草や幻想動物について調べては憧れのため息をついていた私が今の私を見たらびっくりするだろうな。

 

あの頃の私へ。

大人になっても、母になっても、私はずっと魔法の世界に憧れ続けて、娘と共にニワトコの杖を振り回していますよ。

ひたむきな憧れの心がいつか奇跡を起こしたら。おばあちゃんになる頃には、もしかしたら少しだけ魔法が使えるようになっているかもしれません。

 

 

 

 

***

 

 

1月3日。

 

のんびりと起床。

家事を済ませて楽器に触る。

 

チェロは難しい。けれど楽しい。

今年の目標はもっとチェロと仲良くなること。

今は大好きな曲を弾いているのですが、何度も歌っていた曲だからこそ、身体がうたうことを覚えているからこそ、思い通りに弾けないことがもどかしいです。

力加減、角度、少しでも間違えたら耳障りな声を出してそっぽ向いてしまう。気まぐれでわがままな恋人みたい。かわいいやつめ。

 

 

 

 

午後は娘と共に実家へ。

妹と、ふわふわの甥っ子にあけましておめでとうのご挨拶をするのを楽しみにしていたのですが…。

 

 

ここに書くにはプライベートでセンシティブな内容なので詳細は省きますが、なんやかんやあって最終的に私はヒステリックに泣いて泣いて泣いて、帰ってきてしまったのでした!なんてこと!

 

 

冷静になって思い返せば、それだけなら些細なこと、で済むようなひっかかりがいくつか重なっていたとはいえ。

 

私はどちらかというと自分のこころの動きを自分で感知できる方だと思っているので(コントロールできるかはまた別のお話だけれど)、たぶんあの場にいた人の中でだれでもない私が一番、私が泣いてることに驚いていたと思う。

 

びっくりしちゃった。

おめでたい日になんたる失態。恥ずかしい、穴があったら入りたい!!と大声で叫びたい。

大人になっても、悲しいとき泣きたいときに堪えることができないことってあるんだなと、当たり前のことを再確認しました。

 

帰ってきて、痛む瞼をゆっくりバスタブの中で温めて。

一体なにが私のこころを波立たせたのか整理しようとしたけれど結局分からず、最後に浮かんだのは、サウンド・オブ・ミュージックの『私のお気に入り』という歌。

 

─犬に噛まれたり、蜂に刺されたり、悲しい気分のとき 私はすぐにお気に入りたちを思い浮かべるの そうすれば、それほど悪い気分じゃなくなるわ─

 

この歌に並べられた、薔薇をつたう雨粒、クリーム色の子馬、さくさくのアップルシュトルーデル、白いドレスの少女、鼻や睫毛にかかる雪というお気に入りたちのラインナップがきらきらと素敵で。

いつもどこにも馴染めなくて唇を噛んで周囲を睨んでいるような子供だった私は、この歌の教えに従ってみたことがあります。

 

味方なんて誰一人いないように感じる場所で、でも絶対に泣きたくないとき。

当時の私のお気に入りたち。もう忘れてしまったけれど、それは多分ぬいぐるみとか、本とか、飼っていたネコとか、大切なmy favorite thingsを思い浮かべて涙を耐えようとしたのですが、思い浮かべた途端、もう涙が止まらなくて泣きじゃくってしまったのでした。

 

そのmy favorite thingsたちはいつだって私の一番深い内側のところで、やわらかな毛布のように寄り添っていてくれた存在だから。

それが大切であればあるほど、私のこころのやわらかくて弱いところの薄皮をやさしくめくってしまうから。

幼い私は、歌に対して嘘つき、と怒りながら、でもこころの中でお気に入りたちを抱き締めてたくさんたくさん泣いたのでした。

 

たぶん、今日の涙もそういう涙だったのかも。

と思うことに決めました。じゃないと情けなさと恥ずかしさで参ってしまうので。

 

今日はきっと、月に羽ばたく野生のガチョウたちの夢をみよう。