もりとみずうみ

さみしさのやさしさ、いとしさについて。

雨のessay

雨の日曜日。

私は、雨が結構好きな方だとおもう。

仕事の日、朝から雨が降っていると憂鬱になるし、少女時代はくせ毛だったので雨の日は学校に行きたくなかった。

それでも、雨の日の持つ空気や音やにおいは、昔から好きだった。

 

ここに来る時はいつも雨が降っているな、という街もある。

例えば銀座。

教文館で新装版の大好きな児童書を買い、エインカレムで好きなひとへの贈り物に忍ばせるホーリーカードを選ぶ。その後におなじフロアにあるカフェきょうぶんかんで窓に面したカウンター席から薄灰色に濡れる街を見下ろす。

カモミールの香りにも、かすかにみどりがかった雨の湿度が混ざっているような気がする。

 

旅先の雨も好きだ。

特に箱根で雨が降ると私は大喜びしてしまう。何年も愛用している箱根ポーラ美術館オリジナルのモネの睡蓮の傘をうきうきと広げて、雨のお陰でより色濃くなった山の香りを吸い込む。

雨の音が滲んだように聴こえる美術館の中で見るルネ・ラリックの硝子のうつくしいこと。

ポーラ美術館の山の散歩道も雨の日はまるでお伽噺の世界のようでほんとうにうれしくなる。

 

それから、家籠もりの休日の雨。

お気に入りのLisnのインセンスが雨の日は心地よく匂う。時おり鼻歌が混じるグレン・グールドのリトルバッハブックをかけながら、本を読んだり、文章を書いたり、紅茶を飲む、なんでもない日の幸福なことといったら。

 

 

春のつめたさとあたたかさのあわい、泥のようなまどろみの雨と冬の残滓を洗い流すような雨嵐も。

夏の甘い緑の匂いを濃くするしっとりした雨も。

秋の哀愁とロマンスの色をもった雨も。

冬の今にも雪に変わるんじゃないかと思うほど冷たくて静かな孤独の音をした雨も。ぜんぶ素敵だと思う。

 

雨、といえば。

娘がまだよちよち歩きの幼稚園生の頃、彼女は雨が降る外に出ると必ず「あめ!」と叫んでいた。

口の中でキャンディが転がるような音色。

家の中にいるときから雨の音はしていたし、雨具を着せて長靴を履かせ、傘まで持たせているのだから雨が降っていることは知っている筈なのに。

まるで仲良しの友達に久しぶりに会ったかのように「あめ!」とどこまでも明るいトーンの声が、雨音の中に響く。

私はそれを聞くのが好きだったなぁと、ふと思い出した。

あれはなんだったんだろう。雨が好きなの?嬉しいの?と聞いてみたかったけど、目を離せば水たまりに飛び込んでいるので結局聞くことがないまま、気づけば「あめ!」と叫ぶ年齢を過ぎ去ってしまったみたいだ。

 

そんな事を考えて雨の中を歩いていたらなんとなくさみしい気持ちになってしまったので。

モネの睡蓮の緑の中で「あめ!」と小さくつぶやいてみた。私の口の中でもキャンディが転がる。

そのとき、ちょうど木の枝の先から私の傘に雨粒が落ちてきて、トン、とかわいい音が鳴った。

私はやっぱり、雨が好きだ。

 

 

 

※雨の日曜日に書いていたら、途中で雨が上がってすっかり晴れてしまったので投稿するタイミングを失ってしまった。

今日も良いお天気だったけれど、いつかの雨の日の記録としてあげておく。

最後の写真は、幼稚園生だった娘に新しい傘と長靴を買ってあげたら快晴だというのに「あめ!」と叫びながら部屋の中で雨の日ごっこをしていた日の欠片。