もりとみずうみ

さみしさのやさしさ、いとしさについて。

去年の鑑賞ノートから

2023年春。

パンズ・ラビリンスが期間限定で上映されると知り、早朝から映画館に駆け込む。

初めて観たのは10年以上前で、大まかなストーリーととにかく好きだったことだけは覚えている。そして今日改めて鑑賞して、心底好きだと確認した。

 

不条理で残酷な現実世界から、パンが誘う迷宮の冒険へ繰り出すオフェリアに胸が苦しくはる。

幻想的で不気味で、緊張感のあるストーリーにあっという間に惹き込まれて、涙がこぼれる。

孤独から生まれる物語が好きだ。オフェリアは可哀想な娘なのだろう。けれど彼女の最後に私は安堵する。どうして夢の世界で生きていくことを責められる?不幸だと決めつけられる?

不条理な世界に傷付き続けることが強さとは思わない。

世界を変えるには子供はあまりにも無力だ。

彼女は強い。自分を傷付ける世界から見事に逃げ切ったのだから。彼女の選択は正しい。彼女の世界の王女そのものだ。

大人になればなるほど、自分の身を守るのが下手になる。逃げ切ることが出来なくて、大切ななにかを潰しながら生き長らえて、なにかを失ったまま大人になった私は彼女を眩しく思う。

 

 

という鑑賞ノートを久しぶりに読み返して、またこの作品を観たくなった。

同じく孤独な現実から夢の世界へ逃避する少女の物語『ローズ・イン・タイドランド』も好きだったことを思い出す。これはギリアム版不思議の国のアリス

こちらももうずっと観ていないから、また見返してみよう。

 

多感だった頃に観て、とっても好きだったものを大人になった今見返すとそこまで響かなかったり、受け付けなくなっていたりもするものもある。

それは私の心が日々いろんなことを経験して色や形を変えていっているからで、悪いことではないと思いつつも、傷つきやすくて瑞々しくて繊細だった感性をなくした気がしてしまう。

そのたびに私の心の中のオフェリアやローズを弔っている気持ちになる。私の中の彼女は私が殺してしまった。どうか天国がワンダーランドやラビリンスでありますようにと祈りながら。