もりとみずうみ

さみしさのやさしさ、いとしさについて。

いつか、彼女が見た海

 

 

□1月11日 

 

この日出逢った素敵な言葉

“The. heart of man is very much like the Sea, it has its Storms, it has its tides and in its depths it has its pearls too.”

─人の心はとても、海に似ている。嵐があって、潮の満ち引きがあって、奥まったところには真珠もある(ゴッホ)

 

海、が好きだ。子供の頃は鎌倉か函館で夏を過ごすことが多く、そのときはよく海水浴をしていた。遊び場としての海は、冒険的な興奮とほんの少しの畏れを感じさせる。

整ったプールとは違い、足に絡みつく藻や砂の肌触り、瞬く間に波に流される心許なさと、自分は足元にも及ばない大いなる力のような自然の気まぐれへの高揚とスリル。

 

大人になってからは、海どころかプールでも顔をつけてしっかりと泳ぐことはしなくなった。

何年か前に娘と妹と鎌倉へ遊びに行ったときも、靴を脱いで白波と戯れるだけ。

遊び場から、感じる場所へと変化した場所。

サンダルを脱いで、爪先だけつけた水の冷たさ、はしゃぎ声をあげる娘の頬を焼く太陽の眩さ、吸い込むと喉が渇くような磯の匂い。

浜辺に座って水平線を眺めている私のそばに、娘が欠けた貝殻を置いてはまた探しに行く。

色や匂いや質感をたぐり寄せる場所として、海を愛している。

 

東京生まれ東京育ちの私は雪に対してもロマンティックな憧れを持っているけれど、海に対してもどうやら、そう。

海の近くに住む人からは、天災への不安や恐ろしさ、潮風で乾かない洗濯物、自転車や車が錆びやすい等々、海のある街で暮らすことの弊害を聞く。

私は雪も海も、離れた場所で夢見ているだけ。

いつか散歩の距離に海がある街に住みたい、なんて言いながらきっと私は暮らしを変えないし、最後までロマンティックな憧れだけを抱き続けるのだろうなと思っている。

そういう、夢をみる対象がたくさんある人生は物語に満ちていて楽しいものだ。