■2.15
ここ数日、すっかり春のようにあたたかい。2月だというのに。
冬の残滓を散らす強風、なまぬるい空気の黙祷、季節が弔われている。
私は春は身体と相性が悪く、冬を愛しているのでもう少し冬が続いてほしい。
三寒四温。寒さは冬のそれより輪郭が滑らかで、あたたかさは春のそれよりざらりとしている。
季節と季節の間の余白に落ちてしまったように、心もとない気持ちで揺蕩っているうちに桜が咲いてほんものの春が来るのだ、毎年。
オイルパステルで描いた春の白昼夢。
春は苦手だけど、春の花は大好き。世界が一番色鮮やかで、いつだっていい香りがしている季節。
■2.17
週末にいい加減後回しにしていた確定申告にまつわるあれこれを手につけなければならないので、気合を入れるために花を買う。
選んだのはミモザ。ここ数年でミモザがすっかりポピュラーになり、花屋で手軽に買えるようになったのが嬉しい。
ふわふわとした妖精の帽子のような花は一日経つと乾燥してきゅっとしぼんでしまう。
ふわふわの姿の儚さが物語めいていて好きだが、しぼんだ花はどことなく黄色が濃くなってシルバーグリーンの葉と共に凛とした美しさを見せてくれる。強くて、様々な表情を見せる花が国際女性デーの象徴になっているのが誇らしい。
ふわふわの花姿を残したくて、オイルパステルでドローイング。
いつも風景ばかり描いているので静物画は初めて。まだまだ拙いけれど、花のひとときを切り取って閉じ込めるのは楽しい。
春というのは、なんとなく憂鬱と寂寞があたたかな空気の底に漂っているようで、創作のモチーフとしては好きみたい。ということにふと気づいた。春が舞台のお話をいくつも書いていて、それはさみしく、メランコリックで、諦観が滲んだお話ばかり。
ヨーロッパの春は純粋な喜びの季節だったけれど、日本は春が新生活の終わりと始まりだからやっぱり一匙のさみしさが混ざるのかもしれない。
各季節の表の顔の奥にひそんだメランコリーやノスタルジー、さみしさやかなしさ、諦め、そういうものをピンセットでつまみ出して、丁寧にノートに押していく、或いはガラス瓶にいれる。そしてラベルを貼る。例えば─《春、かわいた花びらと雨上がりの生々しい匂い、去っていく背中の白さのお話》。
色も質感も匂いもみんなそれぞれ違う。季節のお話を書くとき、いつも標本を作るような気分になる。
標本というものは作るときも、みるときも、みな息をひそめて、そっと向き合う。多分、そんなふうに物語をつくりたいし、そんなふうに扱ってほしいという気持ちが強いのかもしれない。
外に発信した時点で、読むひとに託されるものだけれど、それでも大切な私のコレクションだから。
なんてことを考えていた、冬と春の間の余白の一日。