創作は、庭をつくることに似ていると思う。私は庭師だ。
私がつくっている庭は決して大きくもないし、花の盛りに大勢の人が訪れるような場所でもない。
土を耕し、種を撒き、害虫や害草を駆除して、花が咲いたら、ちょっと良い紅茶を淹れて眺める。
時おり、同じように庭を持ち、庭を愛する数人の信頼できる庭師仲間を招待したりする、ひそやかな庭。裏庭、や中庭、という単語が持つ秘密めいた響きがぴったり。
現在私は、これまで育てていた庭とは別の庭を1からつくろうとしている。
これまでの庭を愛しく思う気持ちは変わらないけれど、つくりたい理想の庭の形がすこし変化したのだ。
根付かせる植物の種類は、今まで触れてこなかったものばかり。どんな肥料がよいのか、どのタイミングで間引きするのか、日当たりや水は足りているか、すべて未知で試行錯誤している。
創作、特に物語を書くことで、実はこれまで悩んだことがない。
書きたいものと書けるものの擦り寄せがわりに上手く出来て、その時描こうとした世界を納得のいく形で創り上げることが出来ていた。もちろん、それは大変な作業なのだけれど。「どうして私は書けないのだろう」という類の悩みを持ったことはなかった。
けれど今、初めてその悩みを抱いている。
その苦悩を紐解いていくと、圧倒的に経験値不足だということ。読むことはあっても書いたことがない種類の物語だから。だからとにかく、書くしかない。けれど書き上げたものは私の理想とする形からとても遠い。
書きたいものと書けるものの擦り寄せが上手くいっていないのだ。
こういうときはもうゆっくりと、小さな種一粒一粒を根気強く埋めていくしかないのだけれど、なにせ書きたい欲がこれまで以上に膨らんでいるからとってもフラストレーションが溜まってしまう。ずっと落ち着かない。
今は土壌を整えるとき。そこを蔑ろにしたら根付くことも花が咲くこともないのに、理想の庭のイメージばかり膨らんで、花を咲かせている庭や店先に並んだ種や苗にそわそわそわそわしてしまっているのだ。
心がざわざわと落ち着かないと、書くことはおろかインプットもどこか上澄みを滑っていく心地。
こんなこと初めて!というかあまり悩んだり落ち込んだりしない私が珍しくずどんと落ち込んでいるので、そんなに書くことが本気で好きなのねって我ながら驚いていたりする。
花の盛りは春だけど、人それぞれの四季があるから、私の庭の春はもう少し先になりそう。
あと少しだけ落ち込んで悩んだら、多分私のことだもの、落ち込むのに飽きてきて、鍬や鋤を忙しく動かしているでしょう。
そして花が咲いたら、余裕でしたよって顔をしてお披露目するので、笑ってね。