もりとみずうみ

さみしさのやさしさ、いとしさについて。

心の庭の話。

お誕生日のことをもう少し。

お誕生日前後に友人たちからもサプライズプレゼントが届いた。

 

みんなラッピングからそのひとの感性や美意識が感じられる美しいもので、物語の主人公にでもなった気持ちでリボンを解く。

SNSで知り合った友人たちが多いのだけれど、私にとってSNSは好きな世界やあこがれの世界を語り合う場なのでなんというか…日常生活で知り合った友人よりも心の奥深くを知ってもらっている気がする。

私を構成する宝物の欠片たちを知っている友人たちからのプレゼントは、だからとっても心ときめくセレクトばかり。

好きなものには二種類あって、みんなに見てみて!素敵でしょ!と言いたいものと、ほんのすこしの、限られたひと、同じ世界を同じ心持ちで愛するひとや自分の心の庭を大切に育てていると感じる精神性“腹心の友”だけにひっそりと耳打ちして教えたいもの。

その後者を分かち合う“腹心の友”から、私の愛する世界を知ってるからこそのセレクトの贈り物をもらうと本当に嬉しい。

敬意と親愛を感じて、大切にされている気がして、心の底から幸せになってしまう。

贈られたハンカチを鞄にしのばせるときや、贈られた紅茶をいれて書き物をするとき。贈られた本のページをめくるとき。

“これを贈りたい”と思ってくれた友人に、これからもそう思ってもらえる私でいたいなと思う。

贈り物が欲しいから、ではなくて。素敵なものをそっとお裾分けしたくなる、“腹心の友”にふさわしい心を持っていたいという気持ち。

 

そういえばこの冬は、なにかと本を贈り合うことが多かった。

私が贈る側のとき、選ぶのが楽しくて、この物語を好きになってくれたら嬉しくて、心のやわらかなところを見せるようでほんの少しだけ恥ずかしい。

私が贈られる側のとき、相手の心の欠片を手渡されたような気持ちになって胸が高鳴る。

Xで昨年末に相互さんのイメージの小説を挙げる、ということをしたとき、「好きな本です!」や「買いました!」と言ってもらえてとても楽しかった。

 

本を贈り合える友人は、ずっと友人な気がしている。

本というのはもちろん好みもあるし、置いておくスペースも人それぞれ違う。そこに「きっと好きだから」という思いだけで贈ってしまう厚かましさを喜んで受け取ってもらえるだろうという安心感と、大切な世界を共有できる信頼がないと成立しないと思うから。

好きを再確認したり、新しい好きに出会ったりできるのは嬉しい。

 

ここにも、“心の庭”については何度か書いているけれど、自分の心に大切な庭を持っている人が好き。

自分の目で見て手で触れて心で感じたものたちを耕して、植えて、間引いて、花を咲かせているひとたち。

そのひとたちは愛するものに敬意を払って向き合っていて、そして自分以外のひとの庭も大切にしてくれる。

決して荒らしたり、咲いた花を盗み取って自分の庭に植えたりはしない。そういうひとたちに、良かったら、と種をお裾分けしてもらったり、花束を贈ってもらったりすることはなんて幸せなんだろうと思う。

本を贈り合うことも、まさにそれだ。

 

最近は、誕生日に友人から贈られた素敵な詩集を、寝る前に一編ずつ読んでいる。

同じ夢を見る鍵を、手に入れたみたいな気分で。