もりとみずうみ

さみしさのやさしさ、いとしさについて。

展示室という場所

1月19日の夜、娘と絵を描く魔法使いのぬいと共に上野の森美術館『モネ 連作の情景』展へ。

あまりの混雑に驚く。とはいえ、やはりモネは美しい。一番好きな画家は他にいるけどモネを嫌い、というひとはあまりいないのではないかな。

ジャポニズムの影響を受けている筆致は我々日本人にとってどこか懐かしくも感じるし、象徴主義と違って見たまま素直に受け止められる気安さがある。

柔らかな色彩の緑の山や青い海は瞳を浄化してくれるような気がする。

今回はモネといえばの睡蓮の一部の展示もあったけれど、私は雪の白と水の青が印象に残った。

『ジヴェルニーの風景 雪の効果』

『ウォータールー橋 ロンドン 夕暮れ』

 

特に好きだった二枚。

それにしても、ここのところ美術展に行くたびに静かな展示室を恋しく思ってしまう。経営のことを考えれば、メディアで宣伝し、グッズを充実させ、フォトスポットを設置することで来館者が増えるのはとても喜ばしいことなのだけれど…。

美術と、それのある空間を芯から愛するひとたちにとって、近年の展示室は少しばかり落ち着かない場所に変わってしまったなと思う。

静寂の中でどっしりとした絵に向き合い、描かれた色や空気の質感をたぐり寄せたり。休憩用のソファに座って、大きな絵を見上げたり、それを鑑賞するひとを見るとはなしに見る時間の密やかさ。あの時間が懐かしいと、自分勝手にがっかりしてしまうのだ。

写真撮影可能の展示も増えて、それは私も嬉しいし、もちろん撮影する。でも今回、写真を撮ることに集中してしまって、この目に絵を映した記憶が希薄になっていることに気づいた。撮影して、その後じっくり鑑賞したいなと思っても、後ろには撮影待ちのひとが沢山いるし、皆、撮影可能フロアでは写真を撮り、また次の一枚を撮り、と進んでいく。

私も撮れるなら撮りたい、の気持ちになるけれど、なんだか今回“何をしに来たんだっけ…”という困惑が強く心に残った。

次からは、撮影はこれは、という一枚に絞って、その後はゆっくり心ゆくまま絵と対峙する鑑賞の仕方をしようと、決めた。

美術が好きな娘も、“写真撮れるとなんか疲れちゃうね”と言っていて、思い出は切り取るだけでなく刻み込むこともできるはずよね、と内省した。

美術館や博物館の展示室の、ひそやかな空気と、乾いたような過去の気配が好きだから。

ならばその空気を揺らさないように、私も心静かに没入していけたらいいなと思う。

 

後日、モネの模写をする。

これは今回の展示では来ていない睡蓮だけど。1月はお誕生日月ということでずっと欲しかったムンギョのオイルパステルを購入し、早速使って描いたもの。

中々お気に入りの出来で、次に出す本の表紙に使うことにした。

印象派の筆致はオイルパステルで描きやすいので度々模写している。睡蓮を描くのは二回目。モネにならって私も沢山習作を描く。絵も、小説も。