もりとみずうみ

さみしさのやさしさ、いとしさについて。

山梔

読んだ本の記録。

読み始めは野溝七生子『山梔』

自らを犠牲にする母と姉への愛、暴力をふるう父への愛憎。書物への渇求、古代ギリシャ神話・中世ヨーロッパ伝説への憧れと畏敬。

ヒロイン阿字子は家父長制や結婚への圧力などの不自由な世界で、葛藤しながらも誇り高い精神で生きている。

野溝七生子の自伝的小説が復刊されたとのことでお正月休みに読むのを楽しみにしていた。

 

少女小説というものが好きで、かつては吉屋信子川端康成と中里恒子による小説を耽溺していた。その後、松田瓊子と出逢い悲しく儚く美しい小説だけが少女小説ではないことを知る。そしてこの度、野溝七生子とついにご対面。我ながら段階を踏んでいると思う。

赤毛のアンから、リンバロストの乙女を経て、青い城を読みました、というと分かりやすいかしら。

 

『山梔』、様々な側面におけるジェンダーバイアスやパワーバランスについて考えることが多かったこのタイミングで読めたことを嬉しく思う。

これは傑作だった。私たちは知っている。目眩がするほどの憤りや、灰が風に散らされるような諦め、苦しさ、憧憬、葛藤…読みながら、そして読み終えたあともずっと心が揺さぶられつづけた。

由布阿字子は私たちの同胞、いや私たち自身だ。

私たちはこの怒りを、怖れを、虚しさを、誇りを知っている。聖母マリアと女神アプロディテに同時に祈る切実を知っている。

今後きっと何度も思い出すだろうという台詞も沢山あった。

 

・子供の世界は、私達の後に閉ざされた王国のほか何物でもございませんのね

・私は、大人になりたくない。大人なんぞになりたくない

・どれが真実の阿字子だかわかりません。でも、残らず、真実の阿字子です

 

女であることはなんだろう。女である前に感じる心と痛む体を持つ人間なのに。

ラストシーン、駆け出す阿字子の背中の幻影を見た気がする。その背中は瑞々しく、神々しかった。哀しみさえも。

矢川澄子の解説も、復刊にあたって書き下ろされた山尾悠子の解説もとても良い。

 

一年の始まりに読んで、心ごと持っていかれた一作。